【有名人のお墓】『国木田独歩の墓』『星新一の墓』ほか青山霊園・文豪編

例年6月〜7月にかけては都立霊園の使用者募集があり、今年も7霊園(雑司ヶ谷霊園を除く)で募集が始まっています。なかでも人気、倍率、使用料ともに高いのが青山霊園です。ブランド墓とも言われ敷居が高そうに思われますが、墓マイラー活動にあたってはそんなことありません。

有名人が多く眠るお墓としても、緑豊かなお散歩道としても、誰もに開かれている青山霊園を、一人で訪ねてみました。

こんな記事

都立青山霊園へ

今回訪れたのは5月。桜並木が見事な新緑に変わって、一歩足を踏み入れると空気が澄んでるように感じます。

都会のど真ん中とは思えない景観ではあるのですが、両サイドにお墓っていうのがお散歩道としてはシュール。夜はちょっと怖いかもしれないですね。

都立青山霊園の施設概要やアクセスなどは、以下の記事でまとめています。どこからでもアクセスしやすく、気軽に訪れられるスポットなのです。

青山霊園は有名人のお墓の宝庫なので、ターゲットを絞らないと大変なことになります。今回きっかけとさせてもらったのは、墓マイラーガイドブック記事でもご紹介した、山崎ナオコーラさんの著書『文豪お墓まいり記』です。

山崎さんが名だたる文豪たちの墓参をしながら、ご自身の思いを重ねて描かれるエッセイ集です。それぞれは短い章立てなのに、文人たちを象徴する言葉やエピソードなどが心に残り、山崎さんと同じような体験ができるかも、と感じさせてくれる本なのです。

今回訪ねたお墓に眠る文豪は、誰もがその名を知っていて、人生のどこかで接点を見つけられる、身近な人物です。

国木田独歩(1871-1908)の墓

国木田独歩の墓

国木田 独歩(くにきだ どっぽ)
職業:詩人、小説家/生没年:1871年8月30日〜1908年6月23日(享年37)/墓所番号:1種ロ16号16側

明治24(1891)年東京専門学校中退。在学中に植村正久から受洗、青年文学会では徳富蘇峰の知遇を得る。27年国民新聞社入社。日清戦争に記者として従軍。その後、新聞雑誌に発表した詩を、田山花袋らとの合著『抒情詩』(1897)に、「独歩吟」としてまとめる。次いで浪漫的短編集『武蔵野』(1901)を刊行、続く『独歩集』(1905)、『運命』(1906)などで、自然主義の先駆と目される。
近代日本人の肖像 | 国立国会図書館より

そのお墓が青山霊園にあると知り、まず訪れてみたいと思った作家さんが国木田独歩でした。

『文豪お墓まいり記』で綴られていた、独歩独特の小説ともエッセイとも取れる作品について、山崎さん自身にも重ねた視点に共感でき、さらに興味が湧いたのでした。

さらに、わたしの大好きな歌手・宮本浩次さん のアルバムタイトルが『宮本、独歩』だったり、エレファントカシマシには『武蔵野』という名曲があったりで、尊敬する人が尊敬する人=尊敬せざるを得ない偉大さをもってインプットされていたことです。(文豪好き宮本さんつながりで、さらに文豪参りが拡がりそう。)

とはいえ、人物も作品も詳しくは知らないままの訪問で、お墓を見つけるのもすこし迷いました。ある意味普通のお墓だったので見落としてしまった、というのは言い訳で…。美しい白御影の角石墓です。

普通ではあるけれど、背後には六本木ヒルズ森タワーをしたがえて、この地ならではの景観です。人物像を知ると、シュッとした佇まいがとても似つかわしく思えました。訪問する際には、このアングルを覚えておくと見つけやすいですね。

墓碑には「独歩国木田哲夫之墓」とあります。本名の前に「独歩」を冠し、この名前であり言葉のカッコ良さを改めて感じます。実際に独りで歩くことを楽しみながらの墓参となりました。ここは独歩が歩いた武蔵野とはちょっと距離があるけれど、野や林の趣はひょっとしたら近いものがあるかもしれません。

こうしてお墓参りをして現実にその存在を感じてから、人物を追って、作品に触れてみる……これからも実践したいです。

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星 新一(1926-1997)の墓

星新一の墓

星 新一(ほし しんいち)
職業:小説家、SF作家/生没年:1926年9月6日〜1997年12月30日(享年71)/墓所番号:1種イ9号4側9,10番

東京生れ。東京大学農学部卒。1957(昭和32)年、日本最初のSF同人誌「宇宙塵」の創刊に参画し、ショートショートという分野を開拓した。1001編を超す作品を生み出したSF作家の第一人者。SF以外にも父・星一や祖父・小金井良精とその時代を描いた伝記文学などを執筆している。著書に『ボッコちゃん』『悪魔のいる天国』『マイ国家』『ノックの音が』など多数。
新潮社公式サイトより

星新一といえば、小中学生の頃にどハマりした記憶があります。初めて触れたSFであり、「ショートショート=星新一」でインプットされ、最近ではわが子にもすすめていました。代表作『ボッコちゃん』『きまぐれロボット』は累計200万部、総数にして5000万部を超える偉業……などと今さら語るのもおこがましいのかもしれません。

時代をあまり意識せずに読んでいたものの、大正15年生まれと自分にとって祖父母の世代ですから、同時代を生きていた作家です。直接に恩恵を受けた分、青山霊園中の有名人のお墓のなかでもっともお気になっていまいた。

そんな星新一のお墓は…敷地が広い! 青山霊園でこれだけの敷地は、いまやどうやっても手に入れることができません。

「星家之墓」は家族のお墓で、星製薬創業者である父・星一(はじめ)さんから眠られているようです。長男である星新一(本名は親一)も一時は星製薬の経営に携わっていたことがあるそう。また、母方の祖母はなんと森鴎外の妹にあたるとのこと。いやはや、紛れもなく文豪の血が流れていらっしゃったのですね。

お墓とお庭のような敷地は親族の方々によってきちんと管理・手入れがなされているようで、墓参者にも開かれているように思えました。同様に、作家公式のHPも発信や活動が絶えることなく、情報が行き届いています。

死後も現役であり続けているのが嬉しいですね。星新一さんは、作品が時代に沿うようにと、ご自身で改訂を繰り返していたといいます。長く守られていくであろうお墓とともに、作品も未来へ引き継がれてほしいと切に願います。

志賀直哉(1883-1971)の墓

文豪・志賀直哉のお墓は、志賀家累々の墓所内にあります。管理事務所にほど近いので訪ねやすくはあるのですが、生垣に囲まれており、門外から覗き込むような形になってしまいました。

生垣の間から…恐縮ではありますが、しっかり在られました。

志賀 直哉(しがなおや)
職業:小説家/生没年:1883年2月20日〜1971年10月21日(享年88)/墓所番号:1種イ2号11側2番

宮城県石巻町生れ。学習院高等科を経て東京帝国大学文学部中退。在学中に武者小路実篤、里見弴、有島武郎、柳宗悦らと同人雑誌「白樺」を創刊。自我の絶対的な肯定を根本とする姿勢を貫き、父親との対立など実生活の問題を見据えた私小説や心境小説を多数発表。1949(昭和24)年、文化勲章受章。主な作品に『和解』『城の崎にて』『暗夜行路』など。
新潮社公式サイトより

「小説の神様」と呼ばれるほど偉大で有名な作家であるのに、その文学を語れないなんて、いったいなにを学んできたのか。と自省したくなります。とはいえこれも縁だし新たな出会い、この先点と点がつながるようにと備忘録的にはなりますが、ここに記録しておきます。(自分本位!)

墓マイラー覚え書き

複数のお墓を訪ねるとき、ルートの当たりをつけて動けるようにはなってきたものの、お墓ならではの番地のふり方には慣れないし、探し方にこれといったスペシャルな技を見出せていません。(青山霊園の公式墓所案内地図には、有名人のお墓の場所が記されていないのです。)

ただ、迷いながら探すのも楽しくなってきたので、敢えて効率を重視しないのもありです。むしろ、道中のお墓を眺めながら、これは一般人のお墓か? と疑うばかりの個性的なお墓を見つけることも多く、それぞれのストーリーを妄想します。

そういう意味では、お墓歩きは無限の出会いであり、発見も想像も尽きません。人混みは疲れちゃうけれど、お墓は動かずそこにいてくれますから、自由なのも良いですね。

今回3ヶ所を訪ねるだけでも、迷いながら、1万歩は歩いたかも…? 広いし数多いし恐るべし、青山霊園。

などと、母と話していたら「青山霊園は通学路だったから小学生の頃よく歩いたわ。」と知られざる真実が発覚しました。当時走っていた都電を利用するのに、園内を通っていたのだそう。近辺に住んでいたのは聞いていたものの、そんな思い出の場所になっているとは。今と変わらない風景もあったに違いありません。

開かれた公共霊園だからこそ、そこに眠る人だけではなく、多くの人々の心に刻まれた歴史と共にがあるのだなぁ、と改めて都立霊園の魅力を発見したようでした。

令和4年度都立霊園の使用者募集の申込は7月4日(月)までとなっています。

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