【お墓とテレビ】2021夏「お墓から見たニッポン」シーズン4を徹底解説

お墓から見たニッポン シーズン4

この夏、テレビ大阪さん製作のテレビ番組「お墓から見たニッポン」のシーズン4がオンエアされました。お墓が主役という珍しい番組、かつお墓愛溢れる番組ですっかりファンになっています。
今回は、シリーズ最新のシーズン4を徹底解説いたします。

気になったなら、過去エピソードぜんぶYouTubeで見られますよ!

こんな記事

「お墓から見たニッポン」とは?

お墓から見たニッポン」の番組コンセプトはこちら。

お墓を知れば“ニッポンの姿”が見えてくる!

歴史の偉人たちのお墓を訪ね、その人物のエピソードからお墓の在り方を学び、 また、それと同時に、知られざる庶民のお墓の歴史にも焦点を当て、改めて日本を見つめ直す番組。

これに尽きるんですよね。
ニッポンのお墓を歴史、文化、両面から、明るく、楽しく伝えてくれる、これまでになかった番組です。

2020年3月から2021年1月にかけて、シーズン1〜3が放送されました。番組の詳細と内容をまとめていますので、おさらいはこちらの記事よりお願いします。

「お墓から見たニッポン」 SEASON4

2021年8月、待望のシーズン4がオンエアとなりました。全3回が終わったので、改めて見どころをまとめていきます。

ご出演はおなじみの4人です。

左から 朽木量 千葉商科大学教授、坂本七奈アナ、TKO 木本武宏さん、墓マイラー カジポンさん

テーマ「戦国の時代に翻弄された女たち」

シーズン4のテーマは「戦国の時代に翻弄された女たち」。

信長の妹「お市の方」、光秀の娘「細川ラガシャ」、秀吉の側室「淀殿」のお墓を訪ね、その波乱万丈な人生とお墓の謎に迫っていきます。

戦国時代の武将のお墓は、これまでシーズン1で豊臣秀吉、織田信長、シーズン2で明智光秀、シーズン3で真田信繁を見てきました。彼らの人生と死後お墓に弔われるまでのストーリーに思いを馳せ、感慨を覚えましたよね。

今回はそんな男たちの近くにいた女たちにスポットを当てる、言ってみれば前作のサイドストーリーとも言えるかもしれません。歴史好きにもたまらないテーマなのではないでしょうか。

庶民の墓のテーマ「海とともに生きた人々の墓」

歴史上の偉人の墓だけではなく、一般庶民のお墓についても、その歴史や文化を教えてくれるのが「お墓から見たニッポン」のもう一つの大事な側面です。

シーズン4では、「海とともに生きた人々の墓」をテーマに据えて、知られざる日本人のお墓文化や、お墓観を追っていきます。テレビ大阪さん製作ですから、西日本・日本海側の実地を訪れて、現存する実物のお墓をしっかり見せてくれるのが見どころです。

とくに今のご時世、気軽にお出かけもできませんから、こうして各地の景色を見せてくれるだけでも貴重です。

#1 戦国一の美女「お市の方

第1回目は、織田信長の妹で、戦国一の美女と謳われた、お市の方(1547-1583)のお墓を訪ねます。

お市の方は、兄・信長の命で浅井長政に輿入れし、三姉妹・茶々(ちゃちゃ)、初(はつ)、江(ごう)を授かるも、長政が兄を裏切る形となってしまいます。長政亡きあと柴田勝家と再婚すると越前に移り住みますが、不遇な運命に逆らえず最期は夫と自害することに…。

二人の夫にいかに愛された女性であったかを踏まえて、お墓を拝むことになります。

お市の方の墓
  • 訪ねた場所:西光寺(福井県福井市)…柴田家の菩提寺
  • 訪ねたお墓:お市の方、柴田勝家公
  • お墓の特徴:石龕墓(せきがんぼ)
  • 誰がいつ建てたか:慶長年間 山中山代の長俊の創建による
柴田勝家とお市の方の墓

柴田勝家公と寄り添うように、小さな石廟にぎゅっと納まっているお墓は、石龕墓(せきがんぼ)といわれる、当時越前の地で流行った形をしていました。


続いて、江戸時代に北前船の寄港地「三国湊」として栄えた、福井県坂井市三国町の西光寺にある庶民のお墓へ。ここでも、お市の墓と同じような石龕墓(せきがんぼ)のお墓がのこっていました。福井県原産の、笏谷石(しゃくだにいし)で作られているそうです。この時代、この地域では、庶民であっても屋根付きのしっかりとしたお墓が建てられていたのですね。

また、冒頭カジポンさんが「偉人のお墓」を写真で紹介するコーナーが定番に。#1では、永遠の美男子・ジェームズ・ディーン(1931-1955)のお墓(アメリカ・インディアナ州)の写真を見せてくださいました。

#2 絶世の美女「細川ガラシャ」

細川ガラシャ(1563-1600)とは、明智光秀の娘「たま」のこと。16歳で細川忠興に嫁ぎますが、夫が父を見捨て、「本能寺の変」で謀反者の娘になるなど、辛い身の上となります。それでもイエズス会宣教師と出会い、洗礼名「ガラシャ」を授かりキリシタンとして生きます。

最期は敵の人質になることを拒み、家臣に槍で突かせたという、強い女性だったことが伺えます。本編では、そんなガラシャがなぜ、ヨーロッパにも名が知れる「絶世の美女」と言われたのか、その理由にも迫っていますよ。

細川ガラシャの墓
  • 訪ねた場所:崇禅寺(大阪市東淀川区)…細川家の菩提寺
  • 訪ねたお墓:細川ガラシャ市の方、柴田勝家公
  • お墓の特徴:キリシタンであっても戒名があり、五輪塔のお墓になっている
  • 誰がいつ建てたか:イエズス会宣教師のオルガンティノによる

「庶民の墓」では、福井県敦賀市の12世紀創建された来迎寺(らいごうじ)を訪ねます。

ここでも笏谷石(しゃくだにいし)をつかった石龕墓(せきがんぼ)が見られることから、三国町で流行っていた墓石が、海路を通じて港町にひろがっていたことが分かります。

しかも、石のパーツを組み立てる造りで、輸送先で組み立てると完成するという合理的な墓石の販売方法になっていたそう。海と共に発展したお墓の文化を垣間見ることができるのです。

カジポンさん至極の一枚は、マリリン・モンロー(1926-1962)の墓(アメリカ・ロサンゼルス)のエピソードです。

#3 豊臣秀吉の側室「淀殿」

淀殿(1569-1615)は、お市の方・浅井長政のを親に持つ三姉妹の長女(茶々)。その境遇から、敵である豊臣秀吉の側室とならざるを得なかった、やはり波乱に満ちた生涯を送った女性です。

秀吉亡きあとは幼い息子・秀頼の後見人となり豊臣家の実験を握るも、最期は「大坂夏の陣」で徳川家康に敗れ、秀頼らとともに自害しました。三度の落城を見るという数奇な運命をたどった淀殿のお墓は、後世に豊臣贔屓の大阪の人びとによって建てられたのではないかということです。

淀殿の墓
  • 訪ねた場所:太融寺町(たいゆうじ)(大阪市北区)…弘法大師空海創建の寺院
  • 訪ねたお墓:史跡・淀殿の墓
  • お墓の特徴:石造層塔という形で、年代は不明だが供養塔の意味合いが強い
  • 誰がいつ建てたか:明治10年に大阪・鴫野の弁天島から移転された

「海とともに生きた庶民の墓」で訪れたのは、鳥取県琴浦町赤碕にある花見潟墓地(はなみがたぼち)。日本海沿いの東西350mにわたり自然発生的に形成された墓地は、西日本最大級の規模で、約2万墓もあるそうです。

かつて北前船の寄港地としても栄えた港町だそうで、山でもそうであったように、海と共に生きる人々の死生観が反映され、形作られたものだという解説がありました。海へひらいた、とにかく壮観な眺めです。

鳥取県の花見潟墓地

Googleマップで探してみたところ、なんとストリートビューで、バーチャル訪問できてしまいました。ぜひ覗いてみてください。

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