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【都立多磨霊園】ってどんなお墓? その歴史をたどってみる

都立多磨霊園

この春のお彼岸には、多磨霊園にもお墓参りへ行きました。小平霊園よりさらに規模が大きい都立霊園が、どのようにできたのか、多磨霊園の成り立ちなども調べてみましたよ。

小平霊園についての記事はこちら。

こんな記事

都立多磨霊園のざっくり概要

都立霊園の公式サイトは、8霊園とも基本的に同じつくりです。最低限の情報はこちらで入手しましょう。

多磨霊園|霊園・葬儀所一覧|TOKYO 霊園さんぽ

多磨霊園の所在・概要

多磨霊園は大正12年4月1日、現在の府中市に都市計画にもとづく公園型の墓地として、開園しました。

電車でのアクセスは、西武多摩川線の「多磨駅」西口から徒歩10分。西武多摩線は、JR中央線・武蔵境駅から南西に向かって府中市の是政駅まで、高架を走る路線です。

京王線の多磨霊園駅からですと、バスに乗る必要があります。北口から京王バス(JR武蔵小金井駅北口行きまたは多磨町行き)で「多磨霊園表門」へ。ほかにJR武蔵小金井駅・南口から京王バス(京王線「多磨霊園」行き)で「多磨霊園表門」下車、徒歩2分となっています。

所在地:東京都府中市多磨町4-628

敷地面積は128万㎡(およそ39万坪)と都立霊園の中で最大の規模です。

都立8霊園 概要一覧

霊園名開園年月日開園面積所在地
雑司ケ谷霊園明治7年9月1日106,110㎡豊島区南池袋4-25-1
青山霊園明治7年9月1日263,564㎡港区南青山2-32-2
谷中霊園明治7年9月1日102,537㎡台東区谷中7-5-24
染井霊園明治7年9月1日67,911㎡豊島区駒込5-5-1
多磨霊園大正12年4月1日1,280,237㎡府中市多磨町4-628
八柱霊園昭和10年7月1日1,046,468㎡千葉県松戸市田中新田48-2
小平霊園昭和23年5月1日653,545㎡東村山市萩山町1-16-1
八王子霊園昭和46年4月1日644,305㎡八王子市元八王子町3-2536

多磨霊園の園内案内

見事に区画整理がなされている様子がわかりますね。まるでひとつの街のよう。

多磨霊園 園内マップ

園内マップPDFはこちら

芝生墓地や壁墓地、大規模納骨堂や合葬墓地など様々な形態の墓地がありますが、墓所面積は敷地全体の50%以下になっているそう。園路によって26区に分けられ、個々の墓所はすべて「○区○種○側○番」と番号がつけられています。

目的地を訪ねやすい反面、とにかく広いので、区画によっては徒歩だときつい距離になりそうです。数ブロックごとにあるロータリー部分にはベンチがあって、ここで休憩している方、お弁当を食べている方の姿も見られました。

園路と墓所の間隔も広々としていて、明るく見通しがいのも特徴でしょう。各所に桜並木があり、今年はお彼岸時期がちょうど見頃となっていました。人が少ないお花見スポットです。

多磨霊園の墓地使用状況

多磨霊園の利用状況です。

多磨霊園の使用者数及び埋葬体数 (平成29年1月1日現在)

墓地種別使用者数埋葬体数
一般墓地
(芝生墓地・壁型墓地含む)
64,272人415,784体
みたま堂(長期収蔵)5,491人9,940体
みたま堂(一時保管)3,299人3,720体
合葬式墓地4,317人10,283体
霊園案内より抜粋

平成5年に「みたま堂」(新納骨堂)が、平成15年には合葬式墓地が完成し、新しい墓地形式にも対応してきました。それでも、使用するには抽選の壁、使用料の壁もありそうです。

令和2年度 都立多磨霊園の公募状況

霊園名種別募集数受付数倍率前年度倍率
多磨霊園
一般埋蔵施設3745551.51.5
多磨霊園みたま堂
長期収蔵施設401,00925.230.1
令和2年度 公募受付状況より抜粋

納骨堂で25倍、一般墓地では区画の広さが広いほど倍率は下がるようなのですが、なにせ高額なので。

都立霊園の募集は例年6月頃〜 なので詳しい情報が出たら、別途まとめますね。

多磨霊園の成り立ち

都立多磨霊園は東京市最初の公園型墓地。大正8年の「都市計画法」によって設計計画案が立案され、大正12年に完成をしています。背景には当時すでに東京に人口が集中していて、墓地が足りなくなっていた事情がありました。

目指したのは欧米モデル、なかでもドイツやオーストリアの墓地を模範にしたといいます。
「日本で最初の近代的公園墓地」の設計を指揮したのは井下清なる人物で、広大な土地に直線と曲線を組み合わせ、芝生、並木や花を配して間を埋葬地とする壮大な墓地を完成させたのです。

大正12年4月の開園当初は、この見慣れない墓地に対する風当たりは強かったようです。墓地の厳粛さや本来の精神を欠いているという批判もあり、売れ行きは芳しくありませんでした。

しかし、半年後の大正12年9月1日に関東大震災が起きたことで状況が変わります。東京市内の寺院墓地が壊滅的な打撃を受けたのです。震災は東京の区画整理事業を進めることにもなりました。多磨墓地は奇しくも行き場を失った墓地の受け皿になったのです。

一方で、移転や納骨堂への転換を迫られるも受け入れられない寺院墓地には、「特設墓地」の建設が認められることになります。それまでひと区画内に複数の個人・夫婦墓を並べていたものを、特設墓地では一基の家族墓に合葬しなければならなくなり、直接の埋葬が禁じられてカロートへの「収蔵」が定められたのです。数年のうちに約230もの特設墓地が市内にできたのも震災が契機だったといえます。

ちょっと話がズレましたが、関東大震災は東京における墓の形態や制度にも大きな影響をもたらしたのですね。多磨霊園はその後、昭和4年以降の鉄道・バス各2路線の開通、昭和9年の東郷平八郎の埋葬などのトピックにより、申込者を増やしていきます。

ところが多磨墓地には想定外だったことがありました。昭和初期には墓の形式が自由だったために、墓は巨大化、華美化、高価格化し、洋風デザインのものや、個性を発揮したものなど、さまざまな墓が建てられ「無統制状態」になってしまったのです。欧米のような整然と墓が並ぶ姿とほど遠く、設計者たちには不満がありました。もともとは土葬を念頭に区画を広く設定したものの、99%は遺骨での埋葬であったことも一因だったようです。

その後、昭和10年には「東京市墓地使用條例細則」で全ての市営墓地において墓碑の高さ、盛土の高さ、周囲設備のさなど制限が設けられ、だんだんと今のような角柱型の墓石が主流になっていったそうなのです。

ゼロからはじまった墓地計画を見守った人たちにとって、当初の「無統制状態」の建墓による心労はいかばかりだったかとお察ししますが、現在の霊園の姿は全体ではきちんと管理され、個性的な墓石も含めて日本らしい風景ができているように思います。

(本項は『宗教研究』393:問芝 志保「関東大震災と家族納骨墓―近代都市東京の墓制―」を参照しました)

多磨霊園の著名人墓地

多磨霊園の案内地図には著名人の墓所一覧が掲載されていますが、大正期にできた最初の大型墓地だけあって、そのリストも膨大です。わたしたちの年代でよく知っている方も多く、その人と功績を偲ぶことができます。

著名人墓所一覧(東京都多磨霊園案内図 2ページめ)

なかでもわたしが一番訪れてみたいのは、岡本太郎さん(1996年1月7日没、享年84)のお墓です。

ご本人がテレビに出ていたのを覚えている世代です。その芸術はもとより彼の著書『自分の中に毒を持て』には感銘を受けたし、今もファンが多いですよね。お母様で小説家の岡本かの子さんもここに眠るのですが、かの子さんが祖母の女学校時代の友人だったのだと、今回初めて母から聞かされて驚きました。お墓参りに来たことで思いも寄らない話が出てくるものです。とはいえ、墓所が遠くて今回は断念しました。

墓マイラーさんの記事によれば、親子が向き合って笑顔を交わしているとのこと。

他にも、三島由紀夫さん、江戸川乱歩さん、向田邦子さん、長谷川町子さん、上原謙さん、夏目雅子さん、坂東三津五郎さん……きりがないほど気になるお墓があります。これは改めて墓参りツアーするしかないですね。とても一度では無理そうですが。

多磨霊園を訪れてみて

今回の多磨霊園へのお墓参りは、母に付き合った形でしたのでかなり久しぶりの訪問でした。

「ん? ちょっと待って」
母が訪ねたかった親族のお墓は、改めて考えてみると、わたしにとっては曾祖父母が眠るお墓でした。前回の訪問は、母の叔父さんの納骨のときでした。かなり大きな立派なお墓で、建立は昭和9年とありました。

そういったことも、行かないと忘れていたり、分からなかったこと、おおいに反省しました。

母方の母方であるので、現在は親戚が墓守をしているお墓です。気軽に写真を載せていいのかもちょっとわからず。

多磨霊園にて

ひっそりとお花だけ供えてきましたが、なんだか母も遠慮があるような感じがしました。墓守であろうがなかろうが、血縁は変わらないのに、どうもしっくりこない感覚がのこります。

墓じまいのトラブルで耳にする、疎遠だった親族が異を唱えてきた、というのはこういうことかもしれません。家制度が壊れて、家を継ぐ概念が薄れている今、どう考えていけばよいのか。等しく命を与えてくれたご先祖さまです。

父兄制に生きたその人たちがどう考えているかは分からないけど、これからのわたしたちは自分なりの概念でお墓を捉えたいな、と思ったのでした。

多磨霊園内
多磨霊園 区画内

多磨霊園の歴史に、わが家の歴史も重ねて理解したいと思うとともに、課題も発見もあって、楽しい訪問でもありました。

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