【お墓と映画】『野菊の如き君なりき』お墓参りへの道行きを想う

お墓参りへの道行きを想う 映画「野菊の如き君なりき」

伊藤左千夫による原作『野菊の墓』を、名匠・木下惠介が脚色したのが『野菊の如き君なりき』。原作のタイトルに【墓】とある通り、【墓】を起点にしたお話なので、改めて見直してみました。

ネタバレありますが、ぜひ最後まで読んでみてください!

こんな記事

映画『野菊の如き君なりき』とは

原作『野菊の墓』の初映像化作品

野菊の如き君なりき

映画『野菊の如き君なりき』
1955年製作/モノクロ/92分
原作:伊藤左千夫『野菊の墓』/監督・脚色:木下惠介/音楽:木下忠司
出演:田中晋二、有田紀子、田村高廣、笠智衆、杉村春子

原作の『野菊の墓』は伊藤左千夫の自伝的小説と言われる名作です。雑誌「ホトトギス」に発表されたのが、1906(明治39)年のことですから、明治初期のころの日本の農村社会を色濃く描いている作品としても多くのことを知ることができます。

この原作を選んだのが、『二十四の瞳』(1954)や『喜びも悲しみも幾歳月』(1957)『楢山節考』(1958)など数々の名作をのこした木下惠介監督です。本作は1955(昭和30)年に製作・公開されて大ヒットとなりました。

モノクロ映画で古くて見づらいのでは? という心配はご無用です。ほぼ無名の役者が主人公二人を演じていることから、先入観なく見ることができますし、92分とコンパクトです。当時の人気と評価のバロメータともいえる「キネマ旬報ベスト・テン」では第3位を記録しています。

山口百恵のドラマ版『野菊の墓』(1977年)、松田聖子の映画版『野菊の墓』(1982年)で知られているかもしれませんが、元祖映像化作品はこの木下惠介版なのです。

『野菊の如き君なりき』あらすじ

ストレートな原作タイトル『野菊の墓』ですでにネタバレを起こしているかもしれませんが、若い男女の悲恋の物語です。

物語は老齢の男性(笠智衆)がどこかを目指し、川を渡る小舟からはじまります。船頭との会話から、その人は旧家の出である主人公の政夫だと判ります。何十年ぶりかで故郷を目指す政夫は、十代だった若き日を回想し、語り始めます。

15才の少年・政夫(田中晋二)は、2才年上のいとこの民子(有田紀子)と恋に落ちます。純粋に想い合う二人の関係は、旧い村社会の価値観では許されるものではありませんでした。思い悩む民子の心のうちを知っても、政夫にはどうすることもできません。政夫は学校へいくため町へ出て行き、民子はお嫁に行かされてしまいます。想い合う二人は別れ別れになある日政夫のもとへ電報が届きます。急いで帰ると民子は死んだと聞かされ……。

二人の淡い日々と悲しい別れの回想を経て、老齢の政夫は、野菊に囲まれた、美しい墓場にたどり着くのです。

『野菊の如き君なりき』の見どころ

脚本まですべて書き上げた木下惠介は、実験的な映像表現をこころみる作家でもありました。

冒頭とラストをのぞく、ほぼ全回想シーンを白い楕円形のフレームで囲んだ映像で見せています。

回想シーンとわかるという効果があるのはわかりますが、ほぼ全編というのは演出手法としてかなり革新的です。

最初は驚くこの効果も、不思議とすぐに気にならなくなり、ストーリーに没頭できるようになるのです。若い二人の淡い恋物語を描くのにぴったりで、抒情的な効果をもたらしています。

また、原作では千葉とされている舞台の設定を、信州へと移しています。美しい山々の峰が連なる自然風景が描かれていることで、より悲しさを増すように感じられました。モノクロ作品なのに山の緑、白い雲、花々の色を感じられるのが不思議ですが、想像力を掻き立てられるのです。

音楽も印象的です。ギターのような弦楽器で奏でられる、やさしいポロンポロンという音色は、『禁じられた遊び』(1952年フランス/ルネ・クレマン監督の、これも「お墓と映画」!)の「愛のロマンス」を彷彿とさせます。

回想シーンが、音楽で哀しみをまとっているせいもあって、純粋なふたりのシーンに胸打たれるのかもしれません。

お墓と映画『野菊の如き君なりき』

題名がもたらす効果

木下監督による脚色で『野菊の如き君なりき』とされたタイトルは、『野菊の墓』の「墓=直接的な死」の印象を避けています。

話者が男性側であることがハッキリしますし、一応はネタバレ回避しつつも、過去回想であることは明白になっていて、ヒット映画のタイトルとして申し分ないように思います。

少年時代の淡く切ない恋物語は、涙なしには見られません。当時の観客も最後の数分間で一緒に号泣へともっていかれたに違いありません。泣かせの木下惠介の本領発揮です。

お墓の立ち位置

じつは映画本編中、お墓が出てくるのはラストの1分程度です。しかも遠景のカットです。

だからこそ、ラストカットの美しさが鮮明に焼き付けられることになるのですが、お墓は目に見えることだけではありません。

冒頭の船頭のセリフに、お墓への前振りがありました。

仕舞いはどうでもこうでも、お墓へ入らにゃならん。金持ちも貧乏人もみんなおんなじや。

身分の違いから一緒になれなかった二人、後悔が尽きなかった政夫にとって、もっと早く聞きたかった言葉かもしれませんね。

お墓参りの道行きで

老齢の政夫は、死ぬ前にもう一度訪れてみたかったのだと、民子の墓へ向かう道中で回想に浸っていたことが分かります。

お墓参りへ向かうという道すがら、故人のことを想うという心境が、みなの心に刺さるのではないでしょうか。

原作では一年余りしか経っていない時点での回想形式で書かれているのですが、敢えて数十年も経ている設定に書き換えている木下惠介監督。お墓への物理的な距離も、そして時間もかなり離しているのです。

政夫は政夫なりにその後の人生があったはずです。それでも背負った罪の重さを、この道行きで思い出し、こうしてまる1日かけて墓参をするという行動に意味があるのです。民子のお墓参りに向かうことが、自分の人生を振り返ることと重なっているようです。

そんな73才になった政夫を、当時51才だった笠智衆に演じさせるあたりも、さすがでした。少ないシーンで、その後の人生までを含めて語れる役者はそういないでしょう。

お墓参りへ向かう道行きは、故人を偲びます。それはまた、自分の人生や日々をも照らすことになるのではないでしょうか。

まとめ

あらすじでは結末までバラしてしまいましたが、結末を知っていても、泣かされること必須です。

純数十年前の当時から、驚くほど変わった社会の価値観のなかにも、変わらないお墓参りの心を見つけた映画でした。

なにか作品を鑑賞するうえで、ちょっと俯瞰して「お墓と日本人」の視点を持っておくと、登場人物の心情や、作り手の思いに少し寄り添えることがあります。

日本のお墓の文化をつないできた、ひとつ、ふたつ上の世代の描き方、捉え方は、わたしたちにもヒントをくれるように思いました。今回の作品も、正岡子規の『墓』と同じ明治時代の原作です。こうした作品に触れる機会がありがたいです。

大人気漫画『鬼滅の刃』にも『呪術廻戦』にも、『シン・エヴァンゲリオン』にもお墓のシーンが出てくるくらいですから、お墓と文芸のシリーズ(?)続けていきます。

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