【お墓の基本】「家墓」ってなに? いつからあるの?

いつからあるの?先祖代々之墓

わたしたちがよく知っている「先祖代々之墓」や「〇〇家之墓」といった親族・家単位のお墓を「家墓」といいます。この「家墓」がつくられるようになった背景には、どのような思想や文化があるのでしょうか。

先祖代々というけれど、いつからあるんだろう?

お墓のことを知るために、前の記事では大前提となる言葉の定義や法律上のお墓について、調べました。

日本の火葬率は99.99%であり、その遺骨を「埋葬」または「収蔵」するために、お墓(=墓地、納骨堂)が必要不可欠なのでした。その「埋葬」にあたる、墓地のお墓についてもう少し理解を深めてみましょう。

こんな記事

「家墓」とは

わたしたち団塊ジュニア世代にとって、お墓といえば「先祖代々之墓」や「〇〇家之墓」のようなタイプではないでしょうか。寺院の墓地や、公営・民営の共同霊園などの場所は問わず、決められた区画に墓石が建っていますよね。もしくは墓碑に故人やその家を象徴する文字などが彫られている場合もありますが、形式としては以下のようなもの。

墓石の下にはカロート(納骨室)があり、そこへ遺骨(焼骨)を埋葬しています。カロートには骨壷に入れた遺骨を骨壷ごと収めます。(関西以南ではカロート内が土になっていて、そのままお骨を撒いて土に還るというところも以前はあったよう)そして、代々お墓を受け継いだ子孫が、同じお墓に順次収められ、墓誌にに刻まれていく……そんなイメージでしょうか。

この「家」を単位として複数の遺骨を納めるお墓のことを、「家墓(いえはか・いえぼ)」といいます(主要な辞書には掲載されていない)。そのほか「代々墓、累代墓」と呼ばれることもあります。

家墓は、承継されることが前提のお墓です。この家墓方式が、わたしたちに「お墓は先祖代々引き継いでいくもの」という概念を形成している訳ですね。

ではこの「家墓」はいつ頃からあるのでしょうか。

先祖代々之墓

「家墓」の普及は江戸末期から

日本のお墓史を紐解いてみると、古代には古墳に象徴される権力者のお墓はあったものの、庶民に墓という概念はなかったとされています。遺体は河川敷や山野などに放置するか簡易な土葬が一般的な葬送でした。

平安〜室町時代には京都の上層階級には墓参りが一般化してきたようですが、庶民の墓への関心はみられず。地方の有力な農民層の中には、自分の屋敷の敷地内に一族の墓(屋敷墓)をつくる者もあったようです。

庶民階層に墓標や墓石を建てるお墓が広まったのは、江戸時代からといわれています。寺院の境内に墓地がつくられ、墓石が建てられるようになります。当初はひとつの墓石に一人の戒名を刻む個人墓(一人墓)が主流でしたが、その後、夫婦墓や複数墓が増えていきました。

墓標には板碑が使われた場合もありましたが、墓石の場合、形はさまざまで、供養の意味合いが強い五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)のほか、舟型、櫛型(頭部が蒲鉾形の角柱)の墓石、角柱型の墓石も使われていました。墓石を死者の供養塔とする意識が薄れ、お墓を故人の霊が眠る場所とする意識が生まれたのもこの頃からと考えられます。

「先祖代々」「先祖累代」など「先祖」を含む墓石があらわれはじめるのは江戸の末期からだそうです。「家墓」の形成は、祖先祭祀を重視する儒教が江戸時代に隆盛したことも影響していると考えられています。

明治時代になって「〇〇家之墓」が使われはじめますが、実は姓が入ったものが急増したのは1970年代以降なのだそうです。

「現代人のための葬式とお墓の日本史」(古川順弘 著/2017.5刊 洋泉社)より一部参照

このほかに江戸時代に敷かれた檀家制度も、家墓に大きく関わってきそうです。

江戸幕府がキリスト教徒を摘発するためにつくったという檀家制度では、人々は必ず寺院の檀家(宗派の信徒)にならなくてなりませんでした。寺院は宗門人別帳に檀家の名前を記載し、戸籍法ができるまでの人民の管理にも役立ちましたが、ここで宗教と祭祀、家とお墓との関わりも強くなったと思われます。

檀家制度は形を変えていまも残っていて、お墓や供養に関連することも多いため、改めて取り上げようと思います。

明治時代の「家制度」の影響

祖先祭祀の思想には儒教の教えにルーツがあるという一方で、「家墓」のシステムを決定づけたのは、明治時代の政府による統治方法でした。

明治31(1898)年、いわゆる「家制度」「家督制度」といわれる家族の定義が民法に明文化され、政府は日本を「家」によっても統制しました。一戸主による家父長制が徹底され、原則としてその長男が単独で財産を相続します。家制度のもとでは、墓地を含む祭祀承継も家督相続の特権とみなされていました。

家制度の正否は置いておいて、長男が家を(墓も)継ぐのが当たり前となっていたのです。

法律上の家制度は、戦後昭和21(1946)年の日本国憲法、それに基づく翌年の民法改正によって廃止されますが、この約50年間の「家制度」がどれだけ日本国民の「家族」や「家」の価値観に影響を与えたでしょうか。

わたしたちの三、四世代前はバリバリに明治の教育を受けて育ち、親世代にそのまま影響しているでしょう。その親に育てられたわたしたちも少なからず、無意識のうちさまざまな場面で家制度に親しんでいる訳です。

そのひとつにお墓もあって、お墓の承継は長男に、娘は嫁いでしまうから無理、などと普通に考えがちですが、そこに法的根拠がないことも、頭に入れておきたいです。

例えば遺産相続に関しては子に分け隔てない合理的な法制度が確立していて、承継を前提とした財産は分配できるし放棄もでます。でも分割も転売もできない「家墓」を含む祭祀財産は、法的には「承継者は慣習で決める」なんていう宙ぶらりんな状況でもあるのです。この慣習っていつまで続くのでしょうね。

最近のニュースから、「嫁は墓には入れない」と言われたという橋田壽賀子先生のエピソードは典型的な「家制度」の名残ですね。とても色濃い世代なのだと思います。

まとめ

「先祖代々」がいつからなのか、人それぞれではあるけれど、脈々と培われた伝統というよりは「家制度」を経て育まれた、独自の文化が「家墓」といえそうです。

家制度の名残は根深いように思いますが、それでも困りごとが生じてもなんとかやってきたし、むしろその「家」の概念に助けられたこともあったはずです。でも、この先は……少子化、未婚化、多様化する家族のカタチが生まれているなか、かつての「家」の概念を持ち出すことはタブーでしょう。

わたしたちが親しんできた「家墓」の良い面にいま一度向き合いつつ、「家」に依らない方法をそれぞれが探っていかねばなりませんね。さまざまに生まれてきているお墓のスタイルは、そうしたことを具現化しているはずなので、新しい動きもチェックしていきます。

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