New!! 日本最初の樹木葬「知勝院」見学レポート

【レポート】日本最初の樹木葬「知勝院」が示す、里山再生と自然共生とは

「樹木葬」という言葉が一般的になって久しいですが、その発祥をご存知でしょうか? じつは、今から25年前に岩手県一関市の「知勝院」が掲げ、実践した墓地のあり方がそのはじまりでした。

今回、その「日本最初の樹木葬墓地」を見学する視察会に参加してきましたので、レポートします。

こんな記事

日本初樹木葬墓地「知勝院」の現地視察会

現地視察会は、日本葬送文化学会の野外研修として、2024年10月27日に行われたものです。学会の会員・関係者だけでなく、広く門戸を開いてくださっていたおかげで参加することができました。

視察会に先立ち、「葬送の今と樹木葬」というテーマの公開シンポジウムが東京で開催されています。このときの模様は、YouTubeにて視聴可能。日本初の樹木葬墓地がどういった経緯でできて、具体的にどのようなものか、25年を経てどのように育っているのかを知れるほか、変化する日本の葬送の現状を学べる貴重な内容になっています。お時間あればぜひご覧ください。

日本葬送文化学会創立40周年記念公開シンポジウム「葬送の今と樹木葬」 2024年9月8日(日)

講演「知勝院樹木葬が自然保護に果たしている役割」須田真一氏

 講演「葬送の今と樹木葬」 碑文谷創氏

対談「日本初樹木葬知勝院の原点は何か?」 千坂げんぽう× 碑文谷創

このシンポジウムを補完する形で企画されたのが、現地視察会だったというわけで、学会関係者、一般の方も含めて約30名が岩手県の一関市に集まりました。

知勝院は一ノ関駅から車で25分ほど

知勝院樹木葬墓地とは

岩手県一関市の宗教法人・知勝院が所有する山の敷地一帯が、「長倉山 知勝院」となっています。

名称長倉山 知勝院 樹木葬(ながくらやま ちしょういん じゅもくそう)
所在岩手県一関市萩荘字栃倉73-193
開山1999年
運営長倉山 知勝院
公式サイトhttps://chishouin.com/

公式サイトには、「日本初の樹木葬」たる所以や大切にしている思い、コンセプトが、分かりやすく掲載されて、お墓選びに必要な基本情報も十分に揃っています。

知勝院は、現在広く一般的となった樹木葬の起源ですが、知勝院が元祖ゆえの、本来の樹木葬の意味や目指すものを知ることが、今回の視察で大事なポイントでした。

元祖「樹木葬」のはじまりとあゆみ

ご遺骨を土に直接埋葬し、その墓標として樹木を植えるタイプの墓地は、日本では初めてだったことから、知勝院は樹木葬の元祖と言えます。墓地としての利用は1999(平成11)年ですが、その準備は1994年からはじまっていました。

考案したのは、一ノ関駅近く祥雲寺(臨済宗妙心寺派)の住職だった千坂けんぽう氏。ただ、単に樹木葬の形式を作った訳ではなく、近隣農家の高齢化により荒れて壊れかけていた里山をなんとか保全できないかとの考えが基にあってのことでした。

山の生態系を研究し、里山のあり方を模索し、地域の人々を巻き込み説得し、お墓としながらも、自然を再生することをも目的としてはじまったのです。自然と墓が共生することを目指した、自然再生型樹木葬と言われる所以です。

里池里山の土地購入から数えて約30年を経て、知勝院の第一から第三墓地、そして花巻市の早池峰山に里山型・奥山型の樹木葬墓地ができています。

知勝院樹木葬墓地のあゆみ

1994年6月自然体験研修林を購入
1997年9月墓地候補地として久保川流域の山林購入
1999年8月
   11月
祥雲寺の樹木葬墓地(現在の一関第一墓地)として経営許可を取得
樹木葬での最初の埋骨が行われる
2005年7月花巻市大迫町の奥山型樹木葬墓地の経営許可を取得
2006年3月岩手県から「宗教法人 知勝院」として認可。祥雲寺から独立
2010年2月一関第ニ墓地の経営許可を取得
2012年3月花巻市大迫町の里山型樹木葬墓地の経営許可を取得
2014年4月 一関第三墓地の経営許可を取得

知勝院HP、パンフレットより一部抜粋

今年は最初の樹木葬が行われてちょうど25年となります。計画からは30年も経つんですね。

視察ではまず現住職の千坂英俊氏から、知勝院の生い立ちや特徴、樹木葬を提供している思いなどのお話を伺ったあと、現地散策しながらこんどは創始者である千坂げんぽう氏より直々にご案内をいただくという、またとない機会でした。

伺ったお話によれば、現在の埋葬数は約2100体ほど、生前契約を含めた契約数は約2500にのぼるそうです。

現地視察の様子

Googleマップの航空写真で見ると、緑の豊かさと位置関係が見えてきます。寺務所近くの一帯が観察地、その南に第一墓地、東に第三墓地が広がり、第二墓地は久保川沿いを西に車で5分ほど登っていった先です。

まずは寺務所前の開けた散策路へ。かつて棚田だったという場所がため池として再生され、きれいに整備されていました。「久保川イーハトーブ世界」のさとやま散策路としても、解放されています。

ため池の生きもの観察地
千坂げんぽう氏自らのガイドで

「イーハトーブ」といえば、岩手県出身・かの宮沢賢治が名付けた造語です。多くの生き物たちと共生できる理想郷。そこにお墓が加わっているのは意味深いですね。

里山の風景が顕著な第一墓地

散策路を奥へ進むと、第一墓地です。樹木はほどよく空間を保ち、山道は木製チップが敷いてあり、とても歩きやすくなっています。そうした小路の前後左右に、墓所と思しき樹木や立て札がありました。

お墓となる場所には、契約番号とお名前が書かれた杭が立っています。整列した区画売りのお墓と違い、他の人と重ならなければ自由に場所を希望することができるそうです。植生や希望の植樹種類との関係など、相談して決定されます。

すでにご遺骨が埋葬された場所には植栽した低木とネームプレート(俗名)があり、ここがお墓である目印になっています。古くなると交換してくれるそうなので安心です。

墓参時の供花はあとで回収される
奥の方にはベンチも

樹木葬墓地の岩手県による許可要件は、墓地の境界と埋葬場所を明らかにすることが含まれていたそうです。埋葬場所については基準木からの距離を測定して記録する方法がとられ、管理の面でもクリアになっています。

歩きやすい山道
お墓参りの献花

斜面の小路も歩きやすく、樹林全体がしっかり手入れされている様子がよく分かります。自然のままでは鬱蒼とした林にもなりかねないところ、樹木の剪定をしたり、外来種を除去したり、そうすることで保たれている快適な里山なのですね。

水辺に近い緩やかな第三墓地

第一墓地から、橋のような通路をわたって第三墓地に向かいます。

こちらにも手前にため池が造成され、水辺散策路となっています。ホタルの観察地となっているとのこと。

生態系や里山をる活動地と隣接し、また一帯となっている、緩やかな傾斜地が墓地エリアです。

第三墓地
近くにペットの埋葬エリアも

須川岳の眺望をのぞむ第ニ墓地

第二墓地は、知勝院から車で5分ほど離れています。久保川沿いを登った先に、眺望が開けたゆるやかな斜面が広がっていました。

澄んだ空気と色づいた木々、墓地のイメージとはほど遠いのではないでしょうか。

知勝院の樹木葬は、ご夫婦で一緒の区画に入ることもできますが、離れた場所で契約されている方もいらっしゃるとか。

この日は曇りで見えなかったのですが、須川岳(栗駒山)がキレイに見渡せる眺望が人気だそう。一方には里山の生活の風景も見通せる立地です。

滞在した短い時間のなかでも、秋の山は豊かな表情を見せてくれました。

第一、第二、第三墓地を巡ってみると、根底のコンセプトは変わらずともそれぞれに趣が異なり、そこに眠る人たちにも思いを馳せることにもなりました。場所にしても、樹木の種類にしても、自分で選んだのかな、ご家族が故人を想ったのかな、どんな人だったんだろう? と。

開山当初は、一都三県からの契約者が6,7割だったのが、10年ほど経つと岩手県と隣接の宮城県からの希望が半数を超えてきたそうです。そのほか北海道も多く、現在まででほぼ全県からの申し込みがあるそうです。

自然再生型樹木葬のまとめ

現場視察とその後の質疑応答で、より深く知勝院の自然再生型樹木葬について知ることができたので、感想とともにまとめます。

「地域づくり」と「里山づくり」

現地で感じた清々しさは、樹木葬見学というよりは、まさにイーハトーブの自然散策のようでした。

知勝院の樹木葬は、里山の自然を守っていくことが第一の目的にあることを、しっかり確認した視察会でした。なかでも、「里山づくり」の前には、「地域づくり」の観点が欠かせないことを、現場で気づかされたように思います。

それを実現する前には、地域との連携を欠かすことができなかったといいます。最初は反対されていたという周辺の住民たちとの理解を得、また地域に雇用を生み出すことにも貢献し、いま里山再生、自然共生がなされていることが、証明できていると感じました。

「鎮魂と癒し」という柱

知勝院が「自然再生」とともに柱としているのが、「鎮魂と癒し」すなわちグリーフケアの観点だそうです。

宗教、宗旨、宗派不問で儀式を強制することはないものの、仏教儀式や回忌供養等ができることは安心感があります。

契約した方が、生きている間悩みや憂いなく過ごせるように考え、亡くなったあとのご遺骨の引き取り等にも対応されているそうです。

知勝院の契約者さんやご家族の方は、お墓参りにの際に里山活動に参加されることも多いそうです。またそのための、宿泊施設なども提供していることには、驚きました(なんと宿泊料1,000円)。

人の生と死に伴う感情にも、お墓は大きく関わること、改めて考えておきたいです。

やっと時代が追いついた?

里山の本来の姿を知らなくても、この場所こそ洗練されて心地よいと思ったのは、本来あるべき姿に戻る感覚がDNAにあるからかもしれません。

住職からはなぜ「樹木葬」という商標を取らなかったのか、というお話もありました。

知勝院発祥の樹木葬のアイデアを、同じように日本全国で失われつつある生態系や里山を守っていくことに利用し、真似してほしかったからだといいます。「樹木葬」を独占するのではなく、広まってほしいと考えたからです。

ただ、四半世紀を経て、「樹木葬」という言葉がその表層的な意味で使われてしまわれていることは、否めません。埋葬を伴いながら、自然を再生する、里山を保全する考えでの自然再生型の樹木葬墓地は数えるほどしかない現状。

結果的に「亜流の樹木葬が増えてしまっている」という言葉が印象的でした。

とはいえ、この30年で国内でも自然環境に対する危機感はますます高まり、自然保護・環境への向き合いや配慮は社会活動の常識となりました。現に、大企業が里山活動に資金を提供することも増えているそうです。

知勝院の自然再生型樹木葬は、時代を先取りしていたと言えるし、葬法であることよりも先に、自然保護・共生の取り組みとしてダントツの功績を上げ知られているのです。

その上で、多死社会やおひとり様などお墓の各種課題にも資する部分も加えて、今後ますます注目されるのではないでしょうか。そして「樹木葬」という言葉の再定義がなされていくかもしれません。

2024年9月シンポジウム前の新聞記事などでも、四半世紀を経て原点回帰の動きがあるように感じました。


自然環境や植生の知識に乏しく数多ある魅力を伝えきれませんが、四季折々で見える景色も変わることでしょう。

ここに大事な人が埋葬されたら、きっとお墓参りする理由が増えることになりそうです。

知勝院 樹木葬墓地 https://chishouin.com/ichinoseki-bochi/
電話での相談:0191-29-3066 毎週金曜日 午前9時~午後4時

※本記事の情報は2024年11月現在の情報です。

良かったらシェアお願いします!
  • URLをコピーしました!
こんな記事